●1.破滅に向かって走り出す●
玄徳院を卒業するあたりから、私は一つの事実に気が付き始めていた。健康上の問題を起こすのは、私の体のあちこちに散在する硬結(=筋肉が固硬くなったところ)であることに確信をもち始めた。 硬結の一部は、つぼを動かすことによって、部分的にではあったが、水飴のようにすることができた。 特に大きな硬結を溶かすと元あったところに筋肉が治まらず、移動させなければならないことも時々起こっていた。
自分の体を勝手にいじり回しているので、「神を恐れぬことをしているのではないか」という気持ちが、無神論者の私の心をよぎったが、「より健康になりたい」という欲と好奇心で、破滅に向かって走り出していた。
●2.肩胛骨を溶かす●
その頃私は肩甲骨の周りの硬結を取り除こうとしていた。 硬結がなくなるにしたがって、周りの筋肉は柔らかくなっていった。
ところがあるとき私が肩甲骨だと思っていたものが、実は肩甲骨ではなく、肩甲骨を覆う大きな硬結であることに気が付いて、愕然とした。 肩甲骨を一気に溶かすようなつぼはないので、隣接するつぼを動かし、周りから徐々に肩甲骨を小さくして行くという戦術をとった。 それは、北極の氷を徐々に端から溶かそうとするような、気の遠くなるような作業だった。
一か月もすると、私の肩甲骨の大きさは3分の2ぐらいになり、海にせり出した孤島のような形になっていた。溶かした肩甲骨の一部は溶岩のように肩甲骨の下のわき腹に流れ出していた。
肩甲骨上には天宗など幾つかのつぼがあるのだが、試みにそのつぼを使って肩甲骨全体を動かしてみた。肩甲骨は不安定な形をしていたこともあって、30分ぐらいで肩甲骨全体が水飴のように解け、内部の硬結が流れ出して、ぺちゃんこになった。輪郭の元の大きさの2分の1ぐらいになっていた。「ついにやった!」と私は思った。何気なく背骨に触ると大変なことが起こっていた。まっすぐだった背骨が肩甲骨のあたりで大きく折れ曲がっていた。血の気が引いていくのがはっきり分かった。「大変なことをしてしまった。硬結があるのは、それなりの理由があったのだ」と思った。しかし本当に大変なことは翌日起こった。
「神を恐れぬことをやってしまった」と思った。本当に追い詰められると、無神論者の私がこういう心情になるのだ。
「元徳院に相談してもどうにもならない。」「こんな馬鹿なことをする人は、他にはいないだろうから、治し方を知っている人いないだろう。」「女性は妊娠すると全身が柔らかくなるから、そういうホルモン剤を注射すれば、直るかもしれない。」いろいろな思いが、次から次へと頭の中を駆け巡った。
「自分で治すしかない。人生がここで終わってしまうのかどうかが、その結果で決まる。頼れる人は誰もいない」という結論に達した。気持ちが落ち着くと、「肩甲骨の片一方を溶かしたために、この問題が起こったのだから、反対側の肩甲骨を溶かせば、脊柱はまっすぐになるのではないか」と気がついた。
●5.整体治療院●
玄徳院をやめてから、2、3ヶ月たったとき、「背骨は調整できるようになったので、頚椎を調整できるようになりたい」という気持ちが湧き上がってきた。
私が教えている英会話の生徒の一人から「体が痛 くて、整体治療院に言っているんですが、そこは普通の整体とは違って、頭と首を治療時間の半分ぐらいそっと触っているんです。家に帰るとぐったり疲れてしまって一日中 何にもできないんです。こんなことを続けていていいんでしょうか」という相談を受けたことを思い出した。 そのときは「ソフトカイロと言われる治療方だと思いますが、まだその種の治療を受けたことがないので分かりません。 もし心配なら、私が知っている腕のいいマッサージさん を紹介します」と、かかりつけのマッサージ師を紹介した。
●6.オステオパシーの教科書通りの治療●
早速その生徒さんに電話して整体治療院の名前と電話番号を聞き出した。治療院に行ってみると、モスグリーンのこぎれいなアパートでナチュレ・ソフトと 言う看板が出ていた。「どうしたのですか」と先生が聞くので、「どうも首の調子がよくなくて、頭がすっきりしないんですが。」と言ってみた。治療を受けてみると、オステオパシーの教科書道理の治療で、「胸椎のほうには問題がありませんが、確かに頚椎には問題がありますね」とのことだった。正直のところ、「たいしたレベルではないな」と思ったが、「一度では分からない」と思い次の予約をとって帰った。
床に入ってから、玄徳院ではどうやっても入らなかった腰椎の5番を治療して見ると、今まで絶対にまっすぐにはならなかった5番がまっすぐになり、同時に背骨もまっすぐになった。 「やった」と思った。 そして私はすっかり安心してそのまま眠ってしまった。ふと夜中の3時ごろ目が覚めた。そして背中と腰のあたりが異様な感じになっているのに気が付いた。 腰に触ると水飴のように柔らかくなっていた。背中も水飴のように解け、脊柱は大きく湾曲し、ちょっと触っただけで動いてしまった。 腰の中央にある仙骨に触ってみるとしっぽのように動いた。不思議なことに脊柱も仙骨の動きに連動してくねくねと動いた。気が付くと四肢を除く体中の筋肉が水飴のようになっていた。立って歩くことはできた。 しかし同じ姿勢でいることができなかった。力のかかる場所に筋肉が秒単位で集まって来るような感じで苦しくなるのだ。 私はその日の日帰りスキーの約束を電話で断り、一日中あれこれやってみたがどうにもならなかった。 おふろに入っていると筋肉が移動せず楽だったが、一日中入っているわけにも行かなかった。
「これで、人生が本当に終わってしまった」と思った。
体がぐちゃぐちゃになった日の夜、翌日予約してあった治療を断るつもりでナチュレ・ソフト の渡辺先生に電話をし、状況を話した。すると先生は「それはカテゴリー・ツーですよ。 僕も昔はよくやりました。辛かったら、明日来てください」と言ってくれた。
私は私のように馬鹿なことをする人が他にいるとは到底思えなかったので、「絶対治療できない状態にある」というのを説明するために翌日行くことにした。英語のレッスンをしなけれ ばならなかったので、翌朝出掛ける間に風呂に入ってできるだけ安定した状態にしてナ チュレ・ソフト向かった。
●9.診療を拒否●
症状といきさつを事細かに話し、「今日はレッスンがあるので治療が受けられない」 と言うと、先生は「いや、治りますからちょっと背中を診察させてください」と言う。私は「レッスンがあるので、背中が動くと困るので・・・」という議論を繰り返し、結局レッスンがない日にもう一度見てもらうことになった。
私のところでは、1対1でテーブルを挟み椅子に座って授業をするのだが、1時間椅子に座っているのがこれほど辛かったことはない。夜の生徒のキャンセルがあったので、ワラにもすがる思いで、ナチュレ・ソフトに電話し「時間がありましたら、見るだけでもお願いします」と言うと、「8時半に来てください。ちょっと見てみましょう」と快く承諾してくれた。
●10.カテゴリー・ツーですね●
先生は私の肩に触り、簡単なチェックをしてから、「カテゴリー・ツーですね」と言って治療を始めた。 私はこ の時点でもまだ直るとは思っていなかった。治療はうそみたいに簡単で、先生はベッドに横たわった私の背骨をちょと触り、次に腹部に軽く触れて「胃を治療します」と言った。それから頭部を持ち上げ、上下左右に動かした後、顔に両手でしばらく触れていた。
「いいですよ。ちょっと椅子に座ってください」。ちょっと腰に触ると、「はい、いいですよ。 ちょっと立ってみてください。もう直っているはずですから」。私はこの程度の治療で 直るとは思えなかったけれど、言われたとおり立ってみると、その瞬間に正常な状態になった。自分の人生でこれほど嬉しかったことは他になかったような気がする。
●11.再びカテゴリー・ツー●
ところが私はその日のうちに、せっかくの治療を台無しにしてしまった。
体が正常 だと、帰りに車を運転しても、家に帰ってテレビを見ても、食事をしても気持ちがよかった。食事を済ませ、「体が正常だと風呂に入っても気持ちがいいな」と一人思いながら風呂に入っていた。そのとき何気なく腰椎の5番に触ってみて、ギョッとした。5番が正常の位置から左に大きく動いてしまっているのだ。驚いて5番の三束を反射的に押すと脊柱は正常な位置に即座に戻ったが、再びカテゴリー・ツーになってしまった。
●12.神業のような技術●
予約が翌々日の月曜日に取ってあったので、月曜日に行けば簡単に直ると楽観 していた。治療院では先生に「申し訳ございませんが・・・」といきさつを説明した。
相当怒られると思っていたが、先生は非常に謙虚な方で、「ちょっと触って、カテゴリー ・ツーになるようでは治療の仕方に少し問題があったようです。今度はちょとぐらい触っ たくらいでは壊れないように治療しましょう」と言って、神業のような技術を見せてくれた。脊柱の治療はいうに及ばず、仙骨、内蔵、四肢などをあらゆる技術を使って治療してくれた。「背骨もまっすぐになりましたよ。今度は完全に治療したのでこの前のようなことは起こらないと思います」と言われた。
私も「体は柔らかくなったし、背骨も まっすぐになって、かえってよかった」思ったほどだった。
●13.カテゴリー・ワン●
ところが、教室に戻って授業を始めると、体が少しおかしい。治療前よりもはるかに安定しているが、筋肉がこの前の10分の1くらいのスピードで移動し、最後に腰から崩れてしまう。早速、予約を取って、翌々日見てもらった。今度はカテゴリー・ワンと言うことだった。
神業のような治療の後、「これで完全です。しばらくはもう来なくても大丈夫でしょう」と先生は言われた。ところが家に帰るとまた腰から崩れ始めた。これが数回続いた。
●14.目が覚めるとカテゴリー・ワン●
カテゴリー・ツーになったとき、体全体が流動化したが、体のすべての部分が均一に流動化したのではなく、硬結分は触るとグジュグジュ した塊を形成していた。朝起きたときには、硬結部分が少し硬くなって、やわらかなチョコレート状 になり、萎縮するので、背骨がかなり曲がってしまうい、カテゴリー・ワンになっていることも少なくなかった。不思議なことに、起きて一、二時間すると体全体が柔らかくなり、硬結はグジュグジュで柔らかな状態になった。
●15.馬天子の椅子●
近くに馬天子という手作りの喫茶店があった。そこの手作りの椅子に、コーヒーを飲みながら、1時間ほど座って、帰ろうとするとカテゴリー・ワンになってしまう。馬天使の傾いた椅子に座ると腰周辺の硬結が、腰が傾いた状態で固定してしまうので、立ったときにカテゴリー・ワンになってしまうのだ。
●16.玄徳院の治療法を併用●
渡辺先生に、馬天子の椅子の話をすると、「ゆがんだ椅子には座らないように。日常生活においても、ドーナツ状の座布団を使うと、仙骨がゆがまないので、いいですよ」というアドバイスをいただいた。私は、オステオパシーでは硬結を柔らかくすることはでき るが、完全に取り除くのは難しいことを理解した。
カテゴリー・ツーになったとき、渡辺先生から「自分で治療するのは止めるように」と申し渡されていたが、他にいい方法もなかったので、腰椎の3、4、5番を玄徳院の方法で処理してみた。すると腰に硬結がはっきり 浮き上がり、まっすぐだった脊柱が少し曲がってしまったが、腰椎の可動性は失われて いなかった。2、3日して渡辺先生に見てもらうと、「大分安定してきましたね」という、肯定的な評価だった。
●17.脳の硬膜●
玄徳院の治療法で腰椎を治療するようになってから、気をつけてさえいれば、腰から体が崩れるということは、なくなっていた。あるとき頭蓋骨と頚椎の治療をしているとき、左腰に鈍い傷みが走った。「脳の硬膜の固着部分が取れたのでしょう」と先生は言われた。それ以後、腰から崩れることは全くなくなったが、斜めになった椅子に座ると、カテゴリー・ワンになるということは続いた。行きつけの馬天使という手作りの喫茶店に行きさえしなければ、この問題は起こらなかった。
●18.鼠径部の硬結を溶かす●
馬天子の椅子に座るには、「腰の周りの硬結を溶かすしかない」というのが結論だった。治療は体の前面からやったほうが効果的だという経験則があったので、鼠径部の硬結を溶かしにかかった。指でかすかに押さえて治療するのだが、ツボと違って大きな領域を治療するので、時間がかかった。毎晩布団の中で数時間かけた。 一週間もすると、鼠径部の硬結は大雑把に溶けた。ためしに馬天子に行って、ゆがんだ椅子に座ってみたが、カテゴリー・ワンにはならなかった。
●19.心臓が苦しくなる●
ところがある日、修理に出した掃除機を、100メートルほどのところにあるヨドバシカメラから運んでいるうちに心臓が苦しくなった。掃除機をしまったら、苦しさも取れたので、「気のせいだったのかな」と思った。仕事が終わって車で家に帰る途中、再び心臓が苦しくなった。「今まで心臓が苦しくなったことはない。きっと気のせいだ」と自分に言い聞かしながら、運転した。家に 帰って食事をしようとすると、むかむかして食事がのどに通らない。
心臓と胃は胸椎の五番のあたりでつながっ ていて、心筋梗塞などが起こるとき、胃が痛むことがあることを思い出した。左手の肘に近いところ を触るとガチガチになっていて、どうやっても緩まない。肩に近いところヒジュと言うつぼがあって、腕を緩めるの速効性があるのだが、これも全く効かなかった。そこで心 臓に関係のある5番の肋骨に沿って左わき腹に手を回すとやはりガチガチになっていた が、突然反応したので、しばらく手をおいておくと緩んできた。もう一度左腕に触るとすぐ緩み、食事を取ることができた。
●20.中央高速で再び苦しくなる●
カテゴリー・ツーになってからちょうど2週間。今回も翌日スキーに行くことになっていた。木曽の御岳山まで日帰りスキーをしなければならないので、翌朝早く八王子を発っ た。中央高速に入ろうとしたら、また心臓が苦しくなってきた。左手で運転しながら、わき 腹のつぼを触ったが、今回は全く反応がなかった。右手で肩越しに背中を触ると、左半 身が、固くなっていて、特に左肩甲骨と背骨の間が石のように固くなっていた。反応が あったので、手を触れたまま運転していると、硬結が次第に緩み、心臓が楽になってき た。
●21.御岳でスキー●
御岳でスキーをすると、500メートルほど滑っただけで、心臓の動悸がひどくなった。雪で数メートル先が見えないような状態だったこともあって、2回滑っただけで、今年最後のスキーは終わりとなった。
●22.たちどころに良くなる●
家に帰ると、早速渡辺先生のところに電話して治療の予約を取った。翌日、心臓の治療をしてもらうと、たちどころにに楽になった。しかし、カテゴリー・ツーの時の苦い経験があるので、これですべてが解決したとは思わないほうがいいと自分に言い聞かせた。
●23.重いものを持つと苦しくなくなる●
予感はあたった。重いものを持つと心臓がくるしくなるのだ。渡辺先生に治療してもらうと、うそみたいに楽になるが、重いものを持つと、治療したその日でも苦しくなってしまう。「オステオパシーはこれが限界なんだ。自分で何とかするしかない。」と決意する。
●24.指を治療してみる●
「重いものを持つと苦しくなる?重いものを持つと苦しくなる?」と自問自答を繰り返した。「玄徳院やナチュレの治療によって、体型に大きな変化が起こっている。しかし、指は昔のままだ。重いものを持ったとき、指に残っているゆがみが心臓に伝わるのではないか。」そんな考えが、ふと頭に浮かんだ。効果は劇的だった。指の硬結を緩めると、重いものを持っても、心臓は苦しくならなかった。
●25.心臓に問題がある人の共通点●
心臓がくるしくなったときの話をETS(英会話)の生徒にすると、心臓の動悸で医者に見てもらった人が2人いた。2人とも、指には、これと言った問題はなかったが、中央高速で苦しくなったとき、ゆるめた硬結と同じところ、左肩甲骨と背骨の間、に大きな硬結があった。医者には行っていないがやはり時々動悸がす るという女の子も左肩甲骨と背骨の間に硬結があった。
●26.爆弾を抱える●
左肩甲骨の背骨側にある硬結は、爆弾を抱えているようなもので、何 かの弾みで体が固くなるとたちまち、この硬結が異常に硬くなって心臓がおかしくなってしまった。ナチュレに行くと、渡辺先生は胸部に軽く手を乗せ、左手の内観というつぼを触りながら治療された。5分くらいで背中の硬結簡単に緩むが、緩めるだけで取り去ることはできなかった。
私は肋骨間の硬結が背中 の硬結と関係していて、それを取り去れば背中の硬結が取れるのではないかと考えた。胸部のつぼを動かしたり、肋骨間の固い筋肉を緩め強引に肋骨そのものを動か すということをやってみた。背部の硬結は完全にはなくならなかったがかなり小さくなっ た。時々やりすぎて肋骨がずれ、自律神経失調症のような状態になった。その度ごとに渡辺先生に治してもらうということを繰り返した。
●27.全身に硬結が!●
自分の体というものは、生まれたときから慣れ親しんでいるので、治療家が壊れていると思うところも、自分では当たり前で、「何の問題もない」と感じているものである。私もその例外に漏れず、この時点になって初めて、全身に広がっている硬結に気がつき、愕然とした。これが、肺炎をしたものの共通点であることに気がつくのに、さらに二年を要している。「硬結がなくなれば、内臓の機能は上がり、真の健康体になれるに違いない。全身の硬結を溶かそう」と思った。
●28.腹部の硬結を溶かす●
腹部つぼを数時間かけ、すべて動かしてみた。私のお腹はふかしたてのまんじゅうのように熱く柔らかくなり、息を吸うとぷくっと膨れた。渡辺先生が「背中の硬結は背中をいくらいじってもとれない。お腹の側からやるしかない」と言われたので、試してみたのだが、治療直後は腹部の硬結がすべて取れたようっだった。ところが翌朝起きてみると以前よりははるかによかったが、大きな硬結がまだ残っていた。
次の治療の時、渡辺先生は「腰の部分が非常によくなっています。この前来たとき とは全く違います」と言われた。しかし、腰の部分に硬結が残っているだけでなく、肩 甲骨の横の硬結はいまだにあるし、手足、腰、顔、頭、胸などあらゆるところに硬結が残っていた。それどころか、繰り返し治療した肋骨の周りにも、取り切れない硬結が残っていた。硬結は玉ねぎの皮のようで、溶かしても溶かしても、下から出てきた。