新型インフルエンザの感染予防法>第2章 変異するウイルスの脅威>4.スペイン風邪第2波・想像を絶する症状

4.スペイン風邪第2波・想像を絶する症状 !!

第1波

スペイン風邪は、人類史上初めて起こった世界大戦が終結する1918年3月にアメリカのデトロイトで第1波が確認されている。スペイン風邪と呼ばれるのは、スペインで発生したからではなく、第一次世界大戦に参戦していなかったスペインだけがインフルエンザに関する情報統制をしていなかったためと言われる。

<2009年新型インフルエンザとの共通点>

スペイン風邪はH1N1亜型であっただけでなく、第1波の毒性が季節性のインフルエンザと変わらないという現在流行中の新型インフルエンザと共通する特徴があった。


第2波

第2波は、航空機がなかったにもかかわらず、ボストン(アメリカ)とブレスト(フランス)とシエラレオネ(西アフリカ)の3カ所で同時に始まった。毒性は1波に比べると想像できないほど強く、最新の研究によると死者数は5千万から1億人に達し、我が国でも39万人の死者が出ている。日本の人口が約5千5百万人だったことを考えると、同様の第2波が来た場合、死者数は約80万人に達することになる。

スペイン風邪第2波の感染者は、徴兵検査に合格するような健康な若者に多かったため、アメリカ海軍には当時の詳細な記録が残っている。

僕の仮説が正しかった場合、まもなく第1波は収束することになるが、晩秋にスペイン風邪の第2波並の惨状が起こる可能性が高い。現状では、WHOも我が国の政府もスペイン風邪並の第2波が来ることを想定していないため、以下の抜粋を読み、個々に対策を考えることをお勧めする。

<スペイン風邪第2波の想像を絶する症状>

Influenza of 1918 (Spanish Flu) and the US Navy」より抜粋;

Navy nurse Josie Brown, who served at Naval Hospital in Great Lakes, Illinois in 1918, later described what happened there and in many hospitals around the country:

The morgues were packed almost to the ceiling with bodies stacked one on top of another. The morticians worked day and night. You could never turn around without seeing a big red truck loaded with caskets for the train station so bodies could be sent home.

We didn’t have the time to treat them. We didn’t take temperatures; we didn’t even have time to take blood pressure.

We would give them a little hot whisky toddy; that’s about all we had time to do. They would have terrific nosebleeds with it. Sometimes the blood would just shoot across the room. You had to get out of the way or someone’s nose would bleed all over you.

(英語が苦手な人のために)

スペイン風邪のパンデミックが起こった1918年に、イリノイ州グレートレイクスにある海軍病院で働いていた看護婦のブラウン・ジョウシーは、彼女が働いていた病院やアメリカにある多くの病院で起こったことを後に語った;

死体保管所には、死体が積み重ねられ、天井に届くほどだった。葬儀屋は昼夜なく働かなければならなかった。周囲に目をやると、故郷に送る棺桶を乗せた大きな赤いトラックが駅に向かって走っているのが常だった。

病人が多すぎて、看護する時間も、体温をを測る時間も、血圧を測る時間さえもなかった。

私達ができることと言えば、砂糖入りのお湯割りウイスキーを少しばかりあげることだけだった。凄まじい鼻血を噴出する者もいた。時には、鼻血が病室の端から向かい端まで飛ぶため、避けようとしても避けきれず、全身が鼻血だらけになることさえあった。


Philadelphia, Nurses, and the Spanish Influenza Pandemic of 1918」より抜粋;

The 1918 influenza was not the flu Americans were familiar with. It was a horror that turned victims bluish-black then drowned them with their own body fluids. the death toll was highest in the ages 15 to 40, those in the peak of health. The victims would be fine one minute and the next incapacitated fever-racked, and delirious. Temperatures rose to 104-106 40−41degrees, skin turned blue, purple, or deep brown from lack of oxygen. Massive pneumonia attacked the lungs, filling them with fluid; blood gushed from the nose. Death was quick, savage, and terrifying..

(英語が苦手な人のために)

1918年のインフルエンザは、アメリカ人が経験したことのないものだった。病気と言うよりは、感染すると皮膚が青紫色に変わり、次の瞬間には喀血した自分の体液に倒れ込んでおぼれ死んでいく恐怖だった。死者は、体力が一番ある15歳から40歳の人が最も多かった。この病気に犯されると、健康であった人が、突然、機能不全の状態になり、高熱で意識がなくなり、うわごとを言った。体温は40度から41度に達し、皮膚は酸欠により青紫色や茶褐色になった。劇症肺炎により体液が肺に充満し、血が鼻から噴き出した。残酷にも瞬く間に訪れる死は恐怖そのものだった。

The disease appeared first at the sprawling naval base and shipyard on 18 September. The next day 600 sailors were ill; at the same time civilian hospitals started receiving patients. The board of health now began to act by instituting a public campaign against coughing, sneezing, and spitting. Philadelphia was about to become the American city with the highest, most rapidly accumulating, death toll in the worst pandemic in recorded history. In a single day, the death toll reached 1,700.

(英語が苦手な人のために)

感染者が初めて出たのは9月18日、無秩序に広がった海軍基地と造船所からだった。翌日には600人の水兵が発症し、同日、民間の病院が患者の受け入れを 開始した。保健委員会も咳やクシャミ、喀血などに対する広報活動を開始した。フィラデルフィアは死者が急増し、有史以来最悪のパンデミックにおいて、死者 数が最も多いアメリカの都市となりつつあった。たった1日で、死者数は1,700人に達した。

(09/09/05)(09/09/07)


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